Wide Deep

広いジャンルに興味を示し、深く追求していきたい

①家系図の作り方&先祖・祖先の調べ方~前提知識編~

家系図を作成しようとしたきっかけ

以前親族が亡くなった際に相続関係で、戸籍謄本を取り寄せることがありました。

その時に家系が気になって簡単な家系図を手描きで作成したことがきっかけでした。

戸籍謄本や家系図は一度作れば過去に変更はなこと、以前から家系図が好きだったこと、先祖の起源が気になっていたこともあり、思い立ったが吉日、私が作成してみようと一念発起しました。

もちろん業者に依頼することも出来るのですが、多額の費用がかかること、自分で調査することにロマン(笑)を感じたこと、完全に趣味での家系図作成なので自分で調査することに意義があると思い、個人的に調査することにしました。

 

前提知識

 

戸籍制度の変遷

まずは家系図を調べる前に、ここで前提知識として戸籍の変遷を簡単に見てみましょう。

670年(天智9)庚午の年 庚午年籍(こうごねんじゃく)

大化の改新(たいかのかいしん)」で戸籍が制度化され、670年に「庚午年籍(こうごねんじゃく)」と呼ばれる制度が作られました。

  

しかし、現存しません。(´・ω・`)デスヨネー

 690年(持統4)庚寅の年 庚寅年籍(こういんねんじゃく)

六年に一度作成するという「六年一造」の造籍の出発点になった戸籍で、戸内の家族の名・年齢・戸主との続柄などを詳述したことで、家族構成を把握し、それを基に班田収授を行い、人頭課税をする台帳の機能も果たした

同じく、現存しません。(´;ω;`)ウゥゥ*1

 

これ以降太閤検地まで戸籍制度は無い?そうです。

1582年 太閤検地

太閤検地 - Wikipedia

これは年貢としての米を取り立てるためのもので、その土地の権利関係、土地の広さや、どれだけの収穫があるか、そこの農民は誰なのか等を帳面に書いたもの

これは現存しています!\( 'ω')/

とはいえ当然のごとく、郷土資料であることや数が少ないです。

それ以前にここまで遡って特定できるのは珍しいです。

宗門改帳

宗門改帳(しゅうもんあらためちょう)とは - コトバンク

江戸幕府キリスト教禁制を徹底させるため,幕府直轄領はもとより私領 (大名の領分と旗本の知行所) の人民について,寺院にその檀徒であることを証明させた帳面

人別帳

人別帳(にんべつちょう)とは - コトバンク

江戸幕府も初めは切支丹改のために人別改を行なったが,享保以後は主として人口調査 (ことに農民の移動防止) の目的で町村役人に子 (ね) および午 (うま) の年 (6年ごと) に管内の人別帳を作成させた。

宗門人別改帳

宗門人別改帳 - Wikipedia

宗門人別改で宗門改帳と人別改帳が統合された民衆調査のための台帳。現在で言う戸籍原簿や租税台帳である。宗旨人別改帳とも呼ばれる

こちらも現存してますね!(*´▽`*)

図書館、行政機関、個人宅に等に保存されているそうです。

しかし自分の先祖の宗門人別改帳が存在しているのか、どこにあるのか探すのは困難だそうです。

ありそうでも個人情報保護の観点から閲覧が難しいこともあるそうです。

過去帳

過去帳 - Wikipedia

仏具の1つで、故人の戒名(法号法名)・俗名・死亡年月日・享年(行年)などを記しておく帳簿である。

 先祖代々のお墓のあるお寺、菩提寺に保管されています。

ただ最近はお墓を持っていない家もありますし、お墓がどこにあるかわからない人もいますね。

あと、興味本位で聞くにはちょっと敷居が高い気もしますね(笑)

 分限帳

分限帳 - Wikipedia

大名家家臣の名や禄高、地位、役職などを記した帳面

 江戸時代はほとんどが農民なので、武士が先祖の可能性は低いですが・・・

しかも下級の武士は記載されていないことも多いようです。

こちらはかつて藩があった場所の、図書館や歴史資料館等に保管されています。

1872年(明治5年) 明治5年式戸籍(壬申戸籍(じんしんこせき))

壬申戸籍 - Wikipedia

日本で初めての本格的な戸籍制度が開始された。
この年の干支が壬申(みずのえさる)であることから、この制度によってできた戸籍を壬申戸籍(じんしんこせき)と呼ぶ。

ここで、ようやくちゃんとした戸籍が作成されました\( 'ω')/ワーイ

 壬申戸籍では、皇族、華族、士族、卒族、地士(讃岐の郷士のみ)、旧神官、僧、尼、平民等を別個に集計した。このとき被差別部落民は賎民解放令に基づき、平民として編入されたが、一部地域の戸籍には新平民や、元穢多、元非人等と記載されたり等、差別は色濃く残った(一部は明治19年式戸籍や身分登記簿にも登載された)。なお明治5年には族称が皇族、華族、士族、平民に統合されることが決定され、明治10年頃までには卒族、地士、旧神官、僧、尼などの身分が全廃された。

壬申戸籍には身分や病歴、犯罪歴なども記載されていました。

歴史の授業で習うと思いますが、身分は差別の原因ともなっていました。

そのため、差別を防止するために以下のような措置が取られました。

1968年(昭和43年)被差別部落民かどうかを探り出すためにこの戸籍が用いられようとした事件が発覚し、同年3月29日民事局長通達により閲覧禁止とし、法的な廃棄手続きを経たものは法務局・地方法務局・市町村のいずれかにて厳重に包装封印して保管することになった

特に結婚をする時、相手が部落出身であるかを調べていたそうです。

ただし1968年以前に取得した戸籍には記載されている為、当時の戸籍謄本が家に残っていれば見ることは可能です。

祖父母の年代なら持っている人もいるかもしれません。

 

つまり。壬申戸籍を閲覧することはできません。

身分を塗り潰して、閲覧できるようにして欲しいところです・・(´ε`;)ウーン...

1886年明治19年明治19年式戸籍

お待たせしましたー!!!(=゚ω゚)ノ

これが最も古い閲覧可能な戸籍です。

住所が屋敷番から地番に変更となった。
除籍制度が設けられた。

 

家の単位に、戸主を中心としてその直系・傍系の親族をひとつの戸籍に記載。

 役所で取得できる最も古い戸籍になります。

し・か・し

戦争や火事などで紛失、消失している可能性があります。

さ・ら・に

廃棄されている可能性もあります。

除籍後は150年(2010年(平成22年)の戸籍法施行規則改正前は80年)以上保存される。2010年(平成22年)の改正前の保管期間は80年だったため、市町村によっては昭和初期の除籍について廃棄が始まっていたが、改正により廃棄は中止されることになった。

つまり、1930年以前に除籍された戸籍は、廃棄されている可能性があるのです。

こればかりは役所の方針を祈るしかないですね。

ちなみに私の場合、嘉永生まれで明治30年ぐらいに死亡した人の戸籍まで取得できましたのでラッキーでした!(*‘ω‘ *)

1898年(明治31年明治31年式戸籍

家を基本単位とする戸籍制度が開始された。戸籍簿とは別に身分登記簿を設けた。

 

「戸主ト為リタル原因及ヒ年月日」という欄が追加され、「いつ」「どのような理由で」家督を相続し戸主になったかということが明確に記載されるようになりました。

この家単位の戸籍は今とは違うので、分かりづらいかもしれません。

ただ戸籍を読み解くには結構重要なことなので覚えておきましょう。

1915年(大正4年大正4年式戸籍

身分登記簿が煩雑であったため廃止し、戸籍簿に一本化された。

1948年(昭和23年)昭和23年式戸籍

昭和22年の民法改正で「家制度」が廃止される

 

具体的には「前戸主」「前戸主トノ続柄」「戸主トノ続柄」欄が廃止されました。

 

 

1948年(昭和23年)1月1日に新しい戸籍法が施行された。戦前の戸籍が家を基本単位としていたのに対し、夫婦を基本単位とする戸籍に変更され、「戸主」を廃止して「筆頭者」を加えた。「華族」「士族」や「平民」「新平民」などの身分事項の記載は廃止された。
戦争による混乱のため、実際に戸籍簿が改製されるのは1957年(昭和32年) - 1965年(昭和40年)頃となった。

ここから今の戸籍とも言えます。

家単位のほうが記載内容が多かったのですが、夫婦単位になると結婚で戸籍が分割されるため、血族の関係で自分だけで把握できる情報は少なくなってきます。

1994年(平成6年)平成6年式戸籍

平成6年に戸籍法が改正され、戸籍をコンピュータ処理できるようになった。電算化すると縦書きだった戸籍謄本は横書きになる。

 

99.79%の自治体がコンピュータ化され、笠置町など4市町村だけが従来の帳簿管理方式を続けているそうです。(2018年3月1日情報

もう平成が終わるというのにこれは酷すぎでは・・

最大のネックは法務省自治省が検討していた助成金が国会審議で否決されたことにある。

財政問題もあるそうですが、国の経費でコンピュータ化してほしいですね。

会社もクラウド化が進んでますし。

 

東日本大震災で被害を受けた戸籍のことが記事になっています。

とても興味深い記事でした。これからの国の対策を期待したいです。

gendai.ismedia.jp

 

 まとめ

 思ったより長くなってしまったのでこの辺で。

次は実際に資料を集める手順を書いていきます。

次記事

widedeep.hatenablog.jp

*1:木簡は出土してるそうです